御年90歳を超える新藤兼人監督の作品。
これは、戦争の持つ悲劇を分かりやすく、かつ、暗くならずにえがいた作品ですね
ある意味それがそこにあることが日常生活になっているかていを描いている点。
一般人には関係なくそれはただそこにあるものでしかない。
ゆえに戦争の悲劇的な側面が際立っていてるんだろう。
- 一枚のハガキ (リンダブックス)/新藤 兼人
- ¥600
- Amazon.co.jp
http://www.ichimai-no-hagaki.jp/
公式サイトはこちらから
いやートム・クルーズ意外と演技うまいじゃん!
と思ったものです。
特に車椅子の生活になってしまい、嘆き悲しむあたりはなかなかに良かった。
ギルバートグレイプのディカプリオ並に素晴らしかったと思います。
この映画、60~70年代のアメリカ史をさらっとおさらいすることが出来ます。
まあ、やっぱりこの時代、ベトナム戦争は切っても切れないわけで
その描かれ方の軽重はともかくとして、基本的にどの監督も伝えたいのは
やっぱこれってだめだったんじゃん?っていうことですね。
地獄の黙示録は、ゴッドファーザーで有名なロバート・デュバルに
ああいう役をやらせて、笑いを取ってしまうあたり、すごい映画だなあと思うわけで。
やっぱあの波乗りシーンはすごいなあ。あれ以上の皮肉は無いのでは?
プラトーンは、その悲劇性をアイコン化しちゃいましたしねえ。
あの手法もなかなかにうまいですね。
あの絵を書けば、それだけでベトナム反戦になりますし。
腰を下ろして、あのかっこうすれば、=プラトーンですもんね。
この映画ではちょっと重たく、トムクルーズが不具になってしまうことで
その「だめだったんじゃん?」さを伝えていますね。
70年代の音楽というのは、こういう時代背景の下に
生み出されたわけで、明るい曲も暗い曲も、自分が経験したことの無い
その時代の”温度”を内包しているような気がします。
90年代以降、どうも音楽と時代の感覚みたいなものが乖離しているように
感じるのは、なんでなんでしょうね。
テクノロジーの発展がそれを、逆に阻害しているとは思うのですが
あと言えることは、没個性的ってことかもしれないですね。
ぜんぶ同じような曲調だと、大きな塊になったときは強いと思うんですが
どうしても個が弱くなりますからね。
ちょっと映画の話とそれました。
この映画を見ているとブルース・スプリングスティーンの「ボーンインザUSA」を思い出しますね。
ベトナムに行くときは英雄として送り出される。
でも帰ってみると戦犯に扱いされ、ろくに働き口も見つけられない。
戦争自体の悲劇性と、実はそれの後にもこんな影響が、実はあった。
そんなことを結構強烈に見せ付けてくれます。
反戦運動中に、頭上からふってくるゴミ。
当初は、戦争自体が「だめだったんじゃん?」なのに
最後のほうでは、何かに踊らされて主体性の無いみんなも「だめだったんじゃん?」
という風に、変わっていきます。
その中で翻弄されたトム・クルーズは最後に安住の地をみつけたのだろうか。
きっと見つけたと思いたいですね。
メキシコはそういう地なのでしょうか。
ショーシャンクのシウアタネホも、二人の男性の新たな人生の出発点になりましたし。
ちょいと重たいですが、見ておいたほうが良い映画ですね。
再掲載(初出2008/4/14)
ウォン カーウァイ監督の作品。
やはりこの方、映像がすごくいい。
特に印象的なのは、数分おきに挿入される
バイオリン風の音楽。
その場面だけスローになるのも良い。
香港の夜の風景とすごくあっている
出会いというのは、概ね必然的なもの。
そのとき出会うべき人に出会っている。
たとえそれが偶然だったとしても
もしかするとそれは必然的だったのかも知れない。
直接声に出さなくても
雰囲気や眼差しだけで、分かり合えることもある
一歩踏み出そうと、踏みとどまろうと
その共有していた時間は、消えないわけで。
こういう場合、男性は結構引きずっていくんですよね
トニー・レオンのように、アンコール・ワットの石柱に思いのたけを
詰め込んだとしても・・・
このあたりの名残が2046につながっていくのかな。
次は2046を見てみよう。
見渡す限りの大雪原
ちょっと外に出るとそんな風景が広がる田舎町
事件らしい事件なんて起き無そうなこんな場所で
おきてしまった事件。
冒頭で実話に基づいた話という字幕がでますが
実はこんな事件は記録にないらしいです
でも恐ろしいなあと思うのは
この映画を見ているとノンフィクションといわれれば
そう見えてしまうくらい、アメリカの町にこの事件がはまっている
そう、この映画はとってもリアルなんです
一応計画された狂言事件ですが
人間の本能的な衝動は統制できず
あれよあれよという間に取り返しの付かない方向へ
コトが進んでいきます
カオスの中の人間の衝動的な行動には
旋律を覚えます
ちょっと怖い。
そんな映画です。
再掲載(初出2007/9/17)
巡礼の道の言われは、キリスト教12使途の一人聖ヤコブのお墓が
スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラという都市で発見されたことによります。
これによりサンティアゴ・デ・コンポステーラへとたどる道は
巡礼の道と呼ばれ、古来より多くの人々がピレネー山脈をたどって
かの町へ向かってきました。
どれだけ多くの人がこの道をたどってきたのか
それは分かりません
ただ信仰というものの強さは推し量ることが出来ます。
この映画の登場人物は性格も、人種も、属性もまったく
異なる男女。
ひょんなことから、出会い、そして巡礼の道を歩む過程で
何ものかを感じとっていきます。
旅というものは、もちろん旅先で見聞きするもの
食べたものが強烈な思い出として残ります
しかし、その旅の中で何を感じとったかということが
重要なんだと思います。
ふとしたことからであった面々
サンティアゴを目指す道すがら
彼らはまさにその何ものかを感じ取っていきます。
サンティアゴに着いたとき
それは旅の終焉であり、目的の達成ではありますが
もしかすると新たなる旅のスタートとなるのかもしれません。
そう感じ取った何ものかによって
誘われる旅への。
オフィシャルサイト
========================
監督 : コリーヌ・セロー
出演 : ミュリエル・ロバン 、 アルチュス・ド・パンゲルン
2007年
========================
再掲載(初出2007年4月13日)
フランスの抱える高い失業率という問題点をクローズアッ
プした作品
ただ、同じテーマでも「ある子供」と言う映画と違って、
見た後の印象はかなり違う。
子供を育てることは、親の権利でもあり義務でもある。
当たり前の言葉を、子供を認知するときに、主人公は投げ
かけられる。
捨て子とはいえ、他人ではなく身内のように思っていた少
年。
その少年のために自分は、ある意味楽だった暮らしを捨て
て
社会に戻ってきた。
でも彼の中では、違和感がぬぐえなかったのではないか。
おそらく彼はこれを心の中に押しとどめておこうと
思っていたに違いないが、少年の言う「いつあの家(ホー
ムレス時代の家)に
戻るの?」という問いかけと、認知時に裁判員から投げか
けられた
前述の言葉によって、彼は大きくゆらぐ。
その揺らぎにさいなまされたまま、家を出て行く。
このあたりの過程を、もう少し丁寧に、劇的に描くことが
できていれば
この映画の印象も大分違ったと思うんだけどな。
彼が出て行った後、社会復帰し「権利と義務」の重要性を
やっと把握した母親が戻ってくるが、なぜ7年後なのか、
もどってくるならなぜ捨てたのか、など納得性にかける部
分多数。
編集しだいでなんとかなるかな?
うーん。そんな映画でした。悪くないけど、なんか足りな
い。
再掲載(初出2009年5月8日)
男女の関係をここまでの緊迫感で描いた作品は
過去なかったかもしれません。
これは、ナイフ投げの大道芸人の男と
その的となる女の物言わぬ関係を静かに描いた作品です。
ここで投げられるナイフ
男の女にむける思いがこもっていると同時に
なにかしら性的な要素もこめられているんでしょう。
このナイフのやりとりは
彼らにとっての性行為に他ならず
非常に官能的ですらあります。
聴衆は色合いを想像せざるをえなくなっていて、
それもまた官能的な要素に拍車をかけているんだと思います。
しかしまあ、
よくもこんな舞台を映画の中に描き出したものですね。